世界がひとつにならないためのAI
地域性、独自性をAIは自由に表現できるのか?
2026年8月2日

平均値から、固有名へ
数年前まで、私は、AIが表現の独自性を奪い、均質化してしまうことを危惧していました。日本やローカル性のあるルックをどのくらい自由に担保しながら表現できるか。これはAIブームが来て以来、継続的に追いかけてきたテーマでもあります。
世界中の人が同じモデルを使い、滑らかではあるけれど、どこにも属さない映像や文章を生み出していく。AIの性能が上がるほど、世界は美しく平均化されてしまうのではないか。その懸念は、いまも完全になくなったわけではありません。
しかし、ここ一年ほど手を動かすなかで、考えが少しずつ変わってきました。
土地の写真や歴史資料、受け継がれてきたデザイン、そこで暮らす人の言葉。そうした断片を参照させ、人間が選択と編集を重ねれば、AIは平均的な答えを返すだけでなく、その場所にしかない表現を、これまで以上に豊かな形で立ち上げられる。
もちろん、指示を与えるだけで固有性が生まれるわけではありません。「らしさ」は、データの量ではなく、「これは私たちではない」と退ける判断にも宿ります。AIが独自性を守るのではなく、人の選択が、AIを独自性のための装置へ変えるのだと思います。
量産技術で、一点ものをつくるーデジタルラグジュアリー



これまでのデジタル技術は、同じものを速く、安く、大量につくる方向へ進化してきました。しかしAIは、量産のための技術を、一つひとつ異なるものをつくるためにも使えるのかもしれない、と思っています。
これまで手間や予算のために諦めていた、その場所だけの映像、物語、空間表現を、高い解像度で形にしていく。平均化されないことに、手間をかけられる豊かさ。これは、「デジタルラグジュアリー」とも呼べるものかもしれません。
AIを効率化だけの道具として捉え、同じものを大量につくるためではなく、それぞれの違いを、違うまま豊かに表現するために使える可能性。これは、私の中で、AIへの警戒が希望へ変わった要因のひとつです。



