未完のユートピアとドン・キホーテ
来なかった未来のあとで、どんな物語を生きるか
2026年8月23日

来なかった未来のあとで、どんな物語を生きるか
長い間、「テクノロジーが世界を変える」という壮大なナラティブが、時代を覆っていました。VR、メタバース、Web3、そこには確かに目指すべき希望があり、私自身も、その未来を見て歩いてきた一人です。
仮想空間がもたらす新しい経済圏という発想は、現実世界の代替ではなく「世界の拡張」でした。現実に居場所を見出せない人にとっても、新しい自分になれる場所が生まれる。文化も、コミュニティも、創作も、もっと自由になれる。もし実現できていたなら、それは間違いなく一つの理想郷だったと思います。
しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。ワクワクする未来がβ版に留まっている間に、AIはまったく別の角度から社会を書き換え始めます。
これまでの「未来」は、新しい世界をつくる技術でしたが、AIは、今ある世界を高速化する技術として広がっていきました。それは、能力を拡張し、生産性を押し上げる一方で、新たな格差の誕生や、仕事の明確な選別という、現実の厳しさを突きつけるものかもしれません。
いま、巨大な未来の物語は、ロボティクスやフィジカルAI、宇宙、エネルギーといったディープテックへ移りつつあります。しかし、舞台がどこへ移っても、未来が現実になるまでには長い時間がかかります。
その時間を支える物語を、どうすれば失わずにいられるのか。テクノロジーが描いたユートピアの賞味期限が切れたあと、私たちは、どんな未来を信じ直せばよいのか。
これは、未来をつくりたいと願い続ける限り避けられない問いであり、私自身への問いでもあります。
人はみな、ドン・キホーテである。それでも、ドン・キホーテであれ。

魔法の通貨の賞味期限が切れつつある境界に立ついま、頭に浮かぶひとつの言葉があります。
「人はみな、ドン・キホーテである」
騎士道物語を読みふけったひとりの男が、自らを遍歴の騎士ドン・キホーテだと信じ、冒険の旅へ出る。彼は風車を巨人だと思い込み、槍を構えて突進し、あえなく吹き飛ばされます。
羊の群れを敵の軍勢と信じて斬り込み、鎖につながれた囚人を救うべき人々だと解放して、逆に石を投げられる。何度殴られ、吹き飛ばされても、彼は懲りません。無謀で、迷惑で、周囲から見れば滑稽です。
それでも彼を何度も立ち上がらせたのは、弱い者を救い、不正と戦う騎士でありたいという、あまりにまっすぐな願いでした。
周囲から見れば滑稽でも、彼の目に映る世界には、正義も冒険も、戦うに値するものも残っていました。それは彼にとって、紛れもなく本物の世界だったのです。
物語の終わりに、ドン・キホーテは正気を取り戻します。しかし、騎士であることをやめ、そして現実へ戻った彼は、ほどなく死を迎えます。
人は、合理性だけでは生きられません。誰もが何かしらの物語を生きている。そして社会を動かしているのは、正しさや効率だけではなく、そこに信じられる物語があるかどうかなのだと思います。
反対に、物語が失われれば、どれほど合理的に正しい選択肢があっても、人も、お金も、自然には動かない。
だから思うのです。夢から覚めかけても、物語をあきらめないで、ドン・キホーテであれ。
それでも、あなたは未来だった ー 夢から覚められるように

大きな夢は、そのままの姿では、現実のなかへ入っていけないのかもしれません。夢に見たユートピアは来なかったのかもしれないし、これからも、そのままの形では来ないのかもしれない。
けれど、夢を小さく分解し、形を変え、ときには未来らしい名前を脱ぎ捨てながら、その中心にあった価値を、一つずつ現実の地層へ埋め込んでいくことはできるはずです。
現実の側から見れば、ドン・キホーテは滑稽に映るでしょう。けれど、まだ誰も知らない未来を先に生きようとしたからこそ、見えていた景色や価値がある。その断片が、時間をかけて現実の中に現れたとき、物語は小さな現実の希望となる。
「それでも、やっぱりあなたは未来だったんだ」
夢から覚めたドン・キホーテが、「この現実も悪くない」と生きれる世界をつくるための戦い。
それは、わかりやすい熱狂ではなく、形になるまで長い時間を要するかもしれません。それでも、それが現実に根を張る価値になったとき、一時の熱狂よりも、はるかに長く残るものになるのだと思っています。